死にたくなったら遺書を書いてみて

お母さん、妹、パパへ


借金を残して死にゆく出来損ないの私をお許しください。


この死については誰が犯人だとかそんな事ないのです。これが私の寿命です。


小学校1〜2年生の時に絶望と自殺と言う概念を知り、そこからずっとずっと何かあるたびに死にたかったし同年代の子達よりは色々なことに絶望していました。


小学校3〜4年の時には摂食障害の前触れとなる行動をとっていました。


全ては産まれた瞬間からの先天的な病気としか言いようがありません。


そんな言い方をすると、大好きなお母さんやパパに申し訳なくなるけれど、目に見える障害だけが全てではないのだと思うので誰も責めてないです。ただひたすら産んでくれた感謝と親より先に死んだ謝罪の気持ちしかありません。


就学前の幼い頃の記憶のはじめの方は嘘をついていました、凄くちっぽけでくだらない見栄です。一桁の年齢でそんな嘘で自分の見栄を張るなんておかしいですよね。そして、常に顔色を伺っていた記憶があります。


産まれながらに虚言や顔色を伺って、成長するにつれて絶望を感じ死を夢見る事で自分自身を癒していました。


小学生の頃から今成人して久しいこの年齢になるまで、普通の人が普通にこなす事が普通に出来ませんでした。普通の人が80%の力で出来ることを120%出さないと出来ませんでした。だからこそ早く与えられた環境適応し、物事を覚えようと必死になっていました。すると周りは私を出来る子だと勘違いをしてさらに要求をしてきました。その度に限界のコンマ手前まで自分を稼働させていました。


でも、それはまだまだ普通の人たちが90%くらいで出来ていたので押し潰れると非難されました。


最終的には自殺未遂を中学校の校内ですることでSOSだしたのですが、誰からも理解されませんでした。悪化と寛解を繰り返し、寛解する度限界まで要求されていました。


だけど矛盾するのは、その要求がなくなると自分は不必要な人間だと感じるようになって、見放される恐怖に怯えギリギリまでこたえようとしていました。


誰もそんなこと望んでないと思ったりもしましたが、怖くて怖くて仕方がなかったのです。


大好きな言葉、パラドックス、アンビバレス、そんな不安定な脳みそで、心で生きてきました。


でも、もう限界です。


色々言いたい事を考えていたのですが、結局のところ死ぬのは病いで寿命だとしか言いようがなく、お母さん、妹、パパにはごめんなさい、愛してる、ありがとう、と言う言葉で締めくくる事にします。


最期に自分の手で自分未来を決められたことを幸せに思う反面、家族を裏切ったことをお詫びします。



最期にお願いを聞いてもらえるなら、留萌のお墓とお母さんが散骨されたい予定の海、どちらにも骨を入れて欲しい。留萌の海を眺めたい反面、知らない人たちばかりだろうから寂しいし、お母さんが散骨されたい海で先に待っていても良いですか?



今までありがとうございました。





彼氏くんへ


別に彼氏くんの何が嫌とかあの時の言い合いがとか、そんな事が原因じゃないです。ただ、彼氏くんの居場所で死んだ私を許してください。


彼氏くんと出会って私は幸せでした。今も幸せです。彼氏くんが最後の恋人となり、死にゆく中できっと彼氏くんの愛だけを思い出す事でしょう。


彼氏くんだけが生まれて初めて錯乱した私を抱きしめてくれて、受け入れてくれました。


絶対にその喜びも幸せも感謝も忘れません。


いっぱいいっぱい愛してると言ってくれてありがとう。私も死んでもきっとずっと好きです。彼氏くんは私の初めての恋人だと思う。


彼氏くん、結局こんなかたちでサヨナラをしてごめんね。私を受け入れてくれてありがとう。愛してる、ずっとずっと大好き。愛してる、彼氏くん。


何度も不満を当て付けのように言ったけど、ここに来れて良かったよ、楽しかったよ、人間だな生きてるなって初めて感じた。


愛してる、大好き、大好きだよ、愛してるよ、彼氏くん。





親友へ


強く生きてね。後追いはダメだよ。長い間親友でいてくれてありがとう。きっと親友には言葉がなくても全て伝わると思うんだ。







死にたくなったら遺書を書いてみたら良いよ。何だかすっきりするし、そのまま死んだら死んだで遺書として機能するしね。


私は寝る。明日の朝死んでいたらそんな素敵なことはないよね、でも悲しいね。