説明出来ない感情
私には親友と呼ぶ一人の人間がいる。
出会いは精神科病棟にはじめて入院した高校3年のとき。彼女は私より5歳年上だった。
初めて会ったときは派手な金髪に太ってて大きな体、着る服も原色が多くてとても目立った。おまけに高校時代から何度も精神科にお世話になり入院も一度や二度ではなかったそう。
あまりにもインパクトが強くて、それでいて私の知らない精神病についてや薬について詳しくて頭がとても良くみえた。そのわりに会話をすると同い年のように、まるではじめから友達だったみたいな気楽さがあってどんどんのめり込んでいった。
退院してからも遊びに行ったり二人で色んなことをして、付き合いはもう6年目になる。
彼女は自分に過度な自信を持ちながらも容姿、特に体型には極端に過小評価していたせいで、言動が支離滅裂になったり中々一歩を踏み出せなかったりしていた。
彼女は兎に角死に魅了され、精神病というものに自身のアイデンティティを見出してしまったように見受けられた。
彼女は親の金で入退院を繰り返し、車の免許やアラサー目前にして大学に行ったりしていた。更にはレーシック手術を受けたりリストカットの跡を消す手術もしている。
医者についても、精神科医が自分の満足行く診断をつけないとドクターショッピングを繰り返し兎に角病名と薬に依存していた。
プライベートではあれこれ言う割りには優柔不断で物事を決められなかった。というより、自分自身のことではなく相手がある物事について決められなかった。
いつ遊べる?どこで遊ぶ?何をする?何を食べる?
些細なことまで全部。
最初は本当にお姉さんであり、姉妹であり、本当に親友だった。だから彼女のおかしな言動や甘えや依存も見て見ぬ振りをしていた。
だけど、ある日を境にだんだんと歯車が噛み合わなくなってきた。
私が社会復帰すると彼女の幼稚さが目に付く。
私が自立し死に物狂いで手段を選ばず生きている最中に、のほほんと死ぬ気もないのに死にたいと喚いてドクターショッピングをし、私が息さえ出来ないほど病んでも病院に行く余裕が肉体的、精神的、金銭的にもないときにすら親の金をドブに捨てるような大きな金額が動くことを始めたり。
きっと嫉妬もあった。それと同時に嫌悪や苛立ちもあった。
彼女と出会った頃と私は変わった、いろんな意味で。良いところも悪いところもあるとは思うけど、それでも前に進んだから良い意味で変われたし成長したと自分では思っている。
でも、彼女は私から見ると全く変わってなかった、悪い意味で。
会うたび噛み合わない会話やテンポに会う意味すらわからなくなった。親友として彼女を支え続けてた思春期、青春時代、でも、彼女はあの日のままだった。大人の女二人がするような会話がなに一つ出来なかった。
私は彼女から弱音を吐かれる度、親身になりつつ心の中では「死ねば良い」と思っていた。
そんな彼女が、今度は精神病以外の病気をゲットした。彼女は望んでいないと言っていたけど、私は今までのことがあるから「嘘つけ」と思ったけど。
彼女は癌になった。癌の部分は摘出して、特に転移も見当たらなかったので今後は定期的に検査をしながら経過観察となった。
5年後の生存率が90%だと言っていた。
最低なのはわかっているけど、腹の底から笑った。
5年後の生存率なんてだいたいの人間が未知数で、90%くらいの保障しかないだろ、と。
彼女をみていて、実際に病気を持っているけどミュンヒハウゼン症候群みたいだなと思った。彼女にとって病気は全ての免罪符だから。
彼女はこれを機に死への願望を失い生きることを決めたそう。
本当は最初から死ぬ気なんてなかったんではないのだろうか、という言葉は飲み込むけれど。
もう10年近く社会に出れていない彼女はアラサー。このままどうなるのだろう。
そして、私はこんな感情を持ちながら、いつまで彼女と一緒にいるつもりなんだろうか。