偏った持論

外科医と歯科医以外は病気を治せないと思っている。外科医だって曖昧な気もするけれど。 


ただ、外科医と歯科医に共通するのは悪いところを取り除くと言うこと。それで治る。まあ、端折り過ぎかもしれないし端的過ぎるかもしれないけど。


でも、どの医者も共通するのは


病気を医者が治してるわけでは無い


と言うこと。


医者はまず痛いところや病んでるところを診る、そして診断する、診断の結果ついた病名に適切な薬を処方する。


この薬が病気を治す。


そして、その薬よりももっと大事な治療者がいる、それは自分である。


「たかだか風邪、薬を飲めば治る」と素っ裸で寝てたらこじらせるように、薬を飲んだら適切な対応を自分自身がしなければならない。



精神病はもっと厄介だ。


腹痛や怪我と違って全く見えない。そして時に複雑にいろんな病状が絡み合っている。

だから、この病気だと思うけれど他にも多々別な病気と似た症状がある、診断の結果一つの病名をつけるのは難しい、そんな曖昧な時に使う病名も精神科にはある。



でも一番厄介なのは患者自身だ。


患者は医者やカウンセラー、そして薬が全ての苦しみを解放してくれると信じきっている。だから自分のことを省みない。



「ああ、死にたい」そんな考えが出てらひとまず医者の言う通り薬を飲む。

「全く眠れない」処方された睡眠薬を飲む。

「常に憂鬱でやる気がでない」だから毎食後に抗鬱剤を飲む。



けれど何故か良くならない。良くなったと思った時もある、でも一時的だった。



そうすると、まずは薬の変更を希望する。


医者は効かないのならば、と薬を変更する。時にはもう少し様子を見ようと言うことも。



それでも中々良くならない、医者が治してくれる筈なのではないのか?薬が全ての苦しみから解放してくれるのではないのか?もしかしたらこいつは藪医者なのでは?



そんなことを考えながらどんどん薬に頼る。そして医者に、カウンセラーに薬に依存する。


医者が「これ以上は出せない、生活をもう少し改めてみて」と言うと、患者は途端に「見捨てられた」だの「あいつは藪医者だ」だのと不満に思う。




じゃあ、その精神科に通院してる患者の日常生活を見てみよう。


まず根本に「医者にかかれば治る」という考えがある。

そして「薬を飲めば全て楽になる」と考えている。


何か辛いことがあったとき、薬を飲んでもすぐには効かないのは当たり前、その効く前に衝動行為に出る。


自傷行為、過食、自らを傷つけてしまうような虚しいセックスに逃げる。


衝動を自制するというのは、風邪を引いたらどんなに楽しみにしてた遊びでもキャンセルし、暖かくして休息を取る事と同じ。凄く辛いだろうし、それが出来たら医者なんていらないだろうと思うだろう。


だけど、違う。


薬は脳の伝達物質を正常にする、眠りにつきやすくする、落ち込んだり不安な気持ちを和らげる、そんな対処療法でしかない、けれどそれを継続することで段々と良くなる。



不安な気持ちになったから薬を飲んでも、根本的な問題を無視していては解決にならない。


この不安はどこからくるのか、何が原因なのかを自分自身でも探さなくてはならない。


眠れないのなら、寝る30分前には全ての騒音をシャットアウトしてお薬を飲んでお布団に潜り込む。そしてリラックス音楽でも聴く。


それは風邪を引いたときに暖かくして早めに寝てたっぷりと休息を取る行為と同じ。


精神科に来てしまった時点で、薬抜きでそんな事しても無意味だと思う。だからこそ、薬はサポートをしてくれる。



けど最初に言ったように、精神病患者の多くは、自分の生活を変えようとはしない。



それぞれ事情はたくさんあると思う。病名が違えばもはや自分の意識だけで行動することすら出来なくなる。

だからここには一例としてあげているだけだから、精神病患者の全てを責めてるわけではないのはわかって欲しい。



私は中学から(確実に言うのであれば小学生の時からだけど)役10年、寛解と悪化を繰り返して辿り着いたのがこの結果だった。



自分自身が治す気がないなら治らない。




気分が優れない、落ち込みが激しい、そんなときは安定剤を飲んで全ての予定をキャンセルして好きなことをする、もしくはゆっくり休む。


そして、その原因はなんだったのだろう、どうして落ち込むのだろうと考えてみる。考えているうちに鬱になるならそこでやめる。


そして自分に言い聞かせる



「今日は脳の伝達物質(セロトニンとか色んなもの)がうまくいってないんだ、考えても仕方が無い、思考することをやめて脳の機能を必要最低限まで落としてしまおう」




そして寝る。




私は今通院してるけれど、小学生の時からの摂食障害不眠症はいまだに治ってない。そもそも摂食障害は何か別な不安定な部分が行動として出て来てるわけだし、医者も摂食障害を直接治すこと治す薬も出せないし出さない。


根本を正せば治るからだ。


だから私は食べても罪悪感が襲ってこない食事をしたりして努力をし、寝る前に携帯を触らないとか刺激を与えないとか自分自身が治す意思を持って病気と向かい合い戦ってる。



でも毎度うまくやってるわけじゃない。それは凄く疲れるから。その行為が逆に神経を擦り減らし鬱に落とし込む原因にもなる場合があるし。



精神の病気というのは、医者や薬が治すものじゃない。自分の意思で、健康になりたい、もう腕を切ったりわけもわからず泣きたくないからそうならないように行動する、それを医者たちにサポートしてもらい、薬で気持ちを落ち着ける。そういうものだと思っている。



最初は凄く難しいけど。





因みに余談になるけれど


私の腐れ縁の年上の親友は、自分の精神病が自分自身のアイデンティティだと思っているから、ドクターショッピングを繰り返して都合の悪い診断名や薬を出すところは通うのをやめて、利益目的で患者を薬漬けにして患者の望むような病名をつけてくれる病院を好む。



彼女はアラサー、だけどもう社会に戻ることはできない。


運良く、私から見れば運悪く、家族が彼女に対して「病気を理解して受け入れている」と言い、端から見ればただの甘やかしをして彼女の暴走は止まらなくなった。


それに今更治っても、もう社会には戻れない気がする。だから彼女には病気が唯一の救いなのだ。おまけに障害者年金も貰えるし。



私は彼女とは全く違う環境に置かれていた。だから孤独で見捨てられたと泣き喚いた。


けど、今にして思えば周りの判断は私を嫌悪して遠ざけてた結果だとしても私をそれなりに成長させてくれた。


まだ風俗でしか働けないけれど、いつかは「普通」と言われる社会に戻りたい。




私の最近の悩みは、現実の自分と自分の精神がちぐはぐな感じがしてわけがわからなくなること。


私はもう大人だ。だけど精神の方は完全に壊れた17歳あたりで止まってしまった。


これはもう前に話したかな?


この自分自身の居心地の悪さを、どうにかしたい。


それから、過食症がひどいから何とかしたい。